伊藤万理華について調べると、「すごい」「天才」という言葉が出てきます。
元乃木坂46のメンバーと聞けば、アイドル時代の人気が理由だと思うかもしれません。
ところが、伊藤万理華の評価はそれだけでは説明できないんですよね。
個人PVでは「個人PVの女王」と呼ばれ、卒業後は俳優として映画賞を受賞。
さらに、イラストやファッション、映像、個展まで手がけています。
伊藤万理華のすごさは、何でもできることではありません。バラバラに見える才能を、自分だけの表現へつなげられることです。
だから「天才」と呼ばれ、アイドルを卒業してからも人気が続いているのでしょう。
伊藤万理華の何が、そこまで人を引きつけるのか。
その魅力を追っていくと、単なる「多才な人」では終わらない理由が見えてきます。
伊藤万理華は何がそんなにすごい?
伊藤万理華のすごさを一言で表すなら、アイドル、演技、アート、ダンス、ファッションを別々の才能で終わらせないところです。
1996年2月20日生まれ。
大阪府で生まれ、神奈川県で育ちました。
父親はグラフィックデザイナー、母親はファッションデザイナーという、ものづくりが身近な家庭環境で育っています。
4歳からクラシックバレエを始め、絵を描くことも好きでした。
子どもの頃の夢は、漫画家、バレリーナ、ファッションデザイナー。
この時点ですでに、興味の方向が一つではありません。
普通なら「結局、何になりたいの?」と言われそうなところです。
ところが伊藤万理華の場合、その全部が後の活動につながっていきました。
バレエやダンスは、アイドルとしての表現力へ。
絵やファッションへの興味は、個展やクリエイター活動へ。
そして、言葉だけでは表しにくい感情を形にする感覚は、俳優としての演技にもつながっています。
ここが面白いところなんですよね。
多才な人は珍しくありません。
ただ、多くの場合は「絵も上手」「ダンスも上手」と、才能が横並びになります。
伊藤万理華は違います。
一つの「好き」が別の「好き」と混ざり、最後には伊藤万理華にしか出せない世界観になる。
これが、彼女を単なる器用な人ではなく「すごい人」に見せている最大の理由だと思います。
しかも、本人は最初から自分の才能に絶対的な自信があったわけではありません。
周囲と自分を比べ、「自分には武器がない」と悩んだ時期もあったと語っています。
何でもできるから迷わなかったのではなく、何が自分の武器なのか分からない時間を通ってきた。
その迷いまで表現の材料に変えているから、作品に妙な深みが出るのかもしれません。
天才と呼ばれた個人PVの表現力
伊藤万理華が「天才」と呼ばれる大きなきっかけになったのが、乃木坂46時代の個人PVです。
なかでも有名なのが、2013年に公開された「まりっか’17」。
映像、音楽、ダンス、そして伊藤万理華本人のキャラクターが不思議なほどかみ合い、強烈な印象を残しました。
かわいい。
でも、普通のアイドル映像ではない。
少し不思議で、クセがあり、なぜか何度も見たくなる。
この「説明しにくいけれど気になる」という感覚こそ、伊藤万理華の強さでしょう。
彼女は、歌だけで圧倒するタイプでも、派手な演技だけで目立つタイプでもありません。
表情。
動き。
声。
服。
映像の空気。
それらが合わさった瞬間、急に「伊藤万理華の世界」になるんです。
だからこそ、「個人PVの女王」と呼ばれました。
2017年の「伊藤まりかっと。」も高く評価され、アイドルファンの枠を超えて、彼女の表現に引かれる人が増えていきます。
考えてみれば、個人PVはかなり残酷な企画です。
大人数のグループなら、周囲のメンバーや楽曲の勢いに助けられる場面もあります。
しかし、個人PVは基本的に一人。
本人そのものに「見続けたい何か」がなければ、作品として成立しにくいでしょう。
そこで何度も強い印象を残した。
伊藤万理華は、作品を与えられて輝くだけではなく、自分自身が作品の一部になれる人だったのです。
もちろん、監督やクリエイターの力もあります。
ただ、誰が同じ企画を演じても「まりっか’17」になるわけではありません。
あの独特の動き。
少しクセのある歌い方。
かわいさと奇妙さが同居する雰囲気。
すべて、伊藤万理華だから成立したものです。
「天才」という言葉は便利なので、簡単に使うと本人の努力まで消してしまいます。
それでも彼女が天才と呼ばれるのは、技術が高いからだけではありません。
他の人なら欠点として整えてしまいそうな個性を、そのまま魅力に変えられるから。
そこに、伊藤万理華の異質な才能があります。
演技とアートを横断する異質な才能
乃木坂46を卒業したあと、伊藤万理華の評価はむしろ広がっていきました。
俳優としては、映画『サマーフィルムにのって』で主演を務め、映画賞の新人賞を受賞。
ドラマでも難しいテーマを扱う役に挑戦し、俳優として着実に評価を高めています。
アイドルから俳優へ転身する人は少なくありません。
ただ、伊藤万理華の場合は「元アイドルなのに演技がうまい」という評価だけでは収まらないんですよね。
ベビーフェイスでありながら、どこか年齢や性別の枠に収まりきらない雰囲気がある。
明るい役にも見えるし、何かを抱えた役にも見える。
この決めつけにくさが、俳優として大きな武器になっています。
一方で、アート活動も止まりません。
2017年には個展「伊藤万理華の脳内博覧会」を開催。
その後も「HOMESICK」など、自身の感覚や家族、内面を作品にする活動を続けてきました。
ここで改めて分かるのは、伊藤万理華にとって演技とアートは別の仕事ではないということです。
絵を描く。
踊る。
服を選ぶ。
演じる。
展示を作る。
表面だけを見れば、かなり散らかっています。
でも、その中心にはずっと同じものがあるように見えます。
言葉だけではうまく説明できないものを、別の形にして外へ出したい。
おそらく、これが伊藤万理華の表現の芯なのでしょう。
だから俳優になっても、クリエイターになっても、本人の印象が薄まりません。
むしろ活動の幅が広がるほど、「ああ、これも伊藤万理華っぽい」と思えてくる。
何でもやっているようで、実はずっと同じ場所を掘っているんです。
才能が多いことより、この一貫性のほうがすごいのかもしれません。
伊藤万理華の人気の理由
伊藤万理華の人気が長く続いている理由は、才能だけではありません。
もし「すごい作品を作れる人」というだけなら、尊敬はされても、ここまで長く愛されるとは限らないでしょう。
彼女には、完成されすぎていない魅力があります。
乃木坂46時代から個性的な存在として注目されていましたが、本人は自分と他人を比べ、焦りや迷いを抱えてきました。
卒業後も、仕事への不安や「自分は何者なのか」という葛藤があったと語っています。
それでも、迷いをなかったことにはしませんでした。
好きなものを比較せず、自分の中にあるものを受け入れていく。
そんな姿勢が、作品や言葉から伝わってきます。
「才能があるから自信を持てた」のではなく、迷いながら自分の好きなものを捨てなかった。
ここに、人気の理由があるのではないでしょうか。
伊藤万理華は、いわゆる分かりやすいスター像とは少し違います。
いつも堂々としていて、迷いがなく、何をやっても成功する。
そんな人ではありません。
むしろ、自分の面倒くささや不器用さまで抱えながら進んできたように見えます。
だから、個性的なのに遠すぎない。
天才と呼ばれるのに、どこか人間くさいんですよね。
乃木坂46時代からのファン。
映画やドラマで知った人。
ファッションやアートから興味を持った人。
入り口が違う人たちが、それぞれ別の伊藤万理華を好きになれるのも強みです。
そして、どの入り口から入っても、最後は同じ場所にたどり着きます。
「この人、何だか気になる」。
伊藤万理華のすごさは、一つの肩書きで説明できないことです。
俳優だけでもない。
元アイドルだけでもない。
アーティストだけでもありません。
自分の中にあるバラバラな「好き」を捨てず、全部つなげて自分だけの表現にしてきた人。
天才と呼ばれる理由も、人気が続く秘密も、結局はそこにあるのでしょう。
何者か一つに決めなくてもいい。
伊藤万理華を見ていると、そんな生き方まで少し肯定されたような気がします。