雪がほとんど降らない神奈川県川崎市で、世界を目指すスキー選手が育ったって、なんだか意外じゃありませんか?
古賀結那(こが ゆうな)選手は、まさにその驚きを体現したアスリート。
室内スキー場で才能を開花させ、数々の困難を乗り越えてきた彼女の道のりは、私たちに勇気を与えてくれます。
この記事では、古賀結那(こが ゆうな)選手のルーツである小学校・中学校はどこなのか?
そしてオリンピック出場に至るまでの様々なエピソードについてまとめました。
彼女がどのようにして世界の舞台へと駆け上がっていったのか、一緒に見ていきましょう。
目次
出身小学校と中学校はどこ?
古賀結那選手がどのように成長してきたのか、学歴と競技人生を紐解いていきましょう。
意外な事実や、知られざるエピソードが満載ですよ。
①出身小学校:川崎市高津区内の小学校(校名非公表)
古賀選手の出身小学校は、残念ながら公式には公表されていません。
ただ、複数の情報源から、川崎市高津区内の小学校に通っていた可能性が高いと考えられています。
2008年から2014年頃といえば、まさに地元での生活が中心だった時期です。
近所の小学校に通っていたと考えると、親近感が湧きますよね。
②出身中学校:川崎市立高津中学校
中学校は、川崎市立高津中学校 です。
こちらはJOCやFISUの公式資料にも明記されています。
高津中学校は、生徒数約600名の公立中学校で、スポーツにも力を入れている学校として知られています。
地域に根ざした環境で、古賀選手は成長していったんですね。
③出身高校:武蔵野大学附属千代田高等学院
高校は、東京都千代田区にある武蔵野大学附属千代田高等学院に進学しています。
ここは、スポーツと学業の両立をしやすい環境が整っているのが特徴です。
競技に集中しながらも、しっかりと学べる場所を選んだんですね。
④出身大学:早稲田大学スポーツ科学部
大学は、早稲田大学スポーツ科学部へと進んでいます。
スポーツ科学の専門知識を学び、アスリートとしてのスキルをさらに磨いたんですね。
早稲田大学といえば、数々のトップアスリートを輩出している名門ですから、素晴らしい環境で成長できたのではないでしょうか。
現在は城北信用金庫に所属し、社会人アスリートとして活躍されています。
地域に貢献しながら競技を続ける姿は、本当に素晴らしいですよね!
- 小学校:高津区内の可能性
- 中学校:高津中学校で確定
- 高校:武蔵野大学附属千代田
- 大学:早稲田大学スポーツ科学部
小学校時代の練習拠点は?
古賀選手がどのようにしてフリースタイルスキーの才能を開花させていったのか、小学校時代に焦点を当てて見ていきましょう。
驚きの練習環境や、ターニングポイントとなった出来事が見えてきますよ。
①スキーとの出会い:保育園のスキー教室
古賀選手がスキーを始めたのは、なんと3歳の時。
保育園のスキー教室がきっかけだったそうです。
幼い頃から雪に親しんでいたんですね。
そして、小学校1年生でジュニア1級を取得するほどの才能を発揮した といいますから、筋が良いんでしょうね。
②ジャンプに目覚めた場所:溝の口の室内スキー場
小学2年生の時、古賀選手は運命的な出会いを果たします。
それは、当時川崎市高津区にあった室内スキー場「スノーヴァ溝の口」です。
(残念ながら、現在は閉鎖されています。)
全長60m、幅30mの人工ゲレンデで、年間約10万人もの人が利用する人気のスポットでした。
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引用元:スノーヴァ溝の口
そこでフリースタイルスキーのジャンプに魅了され、本格的に競技をスタートさせたんです。
週5〜6日も通って練習に励み、トリックの基礎を築いたといいますから、相当のめり込んでいたんでしょうね。
雪が降らない川崎市で、室内スキー場が才能を育んだというのは、本当に面白いですよね。
③中学時代の試練:3度の手術とリハビリ生活
順風満帆に見えた競技人生ですが、中学時代には大きな試練が待ち受けていました。
中学2年生から高校1年生にかけて、膝の前十字靱帯断裂をなんと3度も経験。
計3回の手術を受けることになったんです。
約3年間、満足に滑ることができず、競技成績も低迷。
引退も考えたそうです。
しかし、古賀選手は諦めませんでした。
リハビリに専念し、筋力トレーニングや食事管理を徹底することで、見事に復帰を果たしたんです。
この期間に、登山家・栗城史多さんの著書「一歩を超える勇気」から大きな影響を受け、「限界を超える精神」を学んだといいます。
逆境を乗り越える力は、こうして培われたんですね。
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高津中学校から世界への道
古賀結那選手が、地元川崎市高津区からどのようにして世界へと羽ばたいていったのか。
その道のりを振り返り、彼女が私たちに教えてくれることを探っていきましょう。
古賀選手は、中学時代に怪我という大きな壁にぶつかりましたが、それを乗り越え、見事に復活を遂げました。
その精神力の強さは、本当に素晴らしいですよね。
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また、地元川崎市のサポート体制も、彼女を支える大きな力となりました。
2022年には川崎市長を表敬訪問し、「地元で育った選手として誇り」と称賛されたそうです。
地域に愛され、応援される存在であることが、彼女の活躍の原動力になっているのではないでしょうか。
川崎育ちでスキー(フリースタイル スロープスタイル/ビッグエア)で冬季オリンピック出場✨
凄すぎ😆
実はご親族が知り合いで以前、少しお話をする機会も。
川崎からミラノ・コルティナへ🇮🇹
古賀結那選手、頑張って下さい😆https://t.co/kdH3eaYsTo— 市古 次郎「川崎市議会議員」いちこじろう (@jiro_ichiko) January 29, 2026
雪の少ない川崎市で生まれ育ち、室内スキー場で才能を開花させた古賀結那選手。
3度の手術という苦難を乗り越え、世界の舞台へと駆け上がっていく彼女の姿は、私たちに勇気と希望を与えてくれます。
これからも、彼女の活躍から目が離せませんね。
そして、私たちも彼女のように、困難に立ち向かい、夢を追い続けることができるはずです。
古賀選手の今後の活躍を、みんなで応援していきましょう!