パリ五輪のフェンシング女子フルーレ団体で銅メダルを獲得し、注目を集める宮脇花綸(みやわき かりん)さん。
宮脇さんの実績だけではなく、世田谷にある豪華な実家や、名門家庭に育ったという家庭環境も話題です。
でも、誰もが羨むような環境に見えますが、実はさまざまな苦労もあったとか……
今回は、宮脇さんの家族や実家、そして彼女の意外なエピソードについて詳しく見ていきましょう。
宮脇花綸の実家は本当に世田谷の豪邸?
項目 | 詳細 |
---|---|
名前 | 宮脇 花綸 (みやわき かりん) |
生年月日 | 1997年2月4日 |
年齢 | 27歳 |
出身地 | 東京都 |
身長 | 161 cm |
体重 | 54 kg |
血液型 | O型 |
職業 | フェンシング選手 |
所属 | 三菱電機株式会社 |
主な戦績 |
|
宮脇花綸さんの実家は、東京都世田谷区にある立派な一軒家です。
宮脇さんのSNSには、その豪華な玄関が写った写真がちらりと公開されており、洗練されたデザインからも裕福な家庭であることがうかがえますね。
出典:宮脇花綸Instagram
「世田谷の豪邸」という噂、これもあながち間違いではなさそうです!
しかも、宮脇花綸さんのお父さん宮脇信介さんは、東京大学を卒業後、カリフォルニア大学バークレー校でMBAを取得。
出典:コのほけん!
その後、外資系金融企業でキャリアを積み、現在はフィンテック企業「Sasuke Financial Lab」の取締役も務めているとか。
なんと、日本フェンシング協会の理事もされているそうで、フェンシング発展にも尽力しているとのこと!
このように名門の経歴を持つ家庭に生まれた宮脇さん、世田谷の豪邸というのも納得ですね。
名門家庭で育った宮脇花綸
宮脇さんは小学校から、いわゆる「お嬢さま学校」とされる東洋英和女学院に通っていました。
中学からは慶應義塾女子高等学校、さらに慶應義塾大学経済学部に進学し、勉学にも本気で取り組んできたようです!
さらに、彼女の祖父は皇宮警察本部長や初代内閣広報官を務めたことでも有名な宮脇磊介さん。
そして歴史に名を残す渋沢栄一が親戚関係にあると言われています。
こうした名門の家系に生まれた宮脇さんですが、家庭の影響を受けつつも自分の道をしっかり歩んでいるようです。
宮脇花綸が抱える意外な「苦労人」エピソード
裕福で恵まれた環境で育った宮脇さんですが、意外にも多くの苦労を経験してきました。
まず、東京オリンピックの代表選考から外れた際には大きなショックを受け、なんと引退も考えたほどだったとか。
それでも彼女は、その悔しさをバネにしてさらに練習に打ち込み、ついにはパリ五輪でメダルを手にするまでになったのです!
また、競技活動には自己負担も多く、宮脇さんは資金を集めるために工夫をしてきたそうです。
なんと、自ら応募してクイズ番組『クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?』に出演し、全問正解で賞金300万円を獲得しました。
出典:日本テレビ
その賞金は、パリ五輪への活動資金として活用されたとのこと。
このように、家族に頼らず自らの努力で夢に挑む姿勢が、彼女の強さといえるでしょう。
宮脇花綸が努力を続ける理由と家族の支え
宮脇さんがフェンシングを始めたきっかけは、5歳上のお姉さんの影響だったとか。
幼い頃から、家族の支えを受けながら競技に取り組んできたそうです。
また、父・信介さんは、日本フェンシング協会の理事として協会の建て直しにも尽力。
無償で協会の運営に携わり、娘である宮脇さんが競技に集中できる環境を整えてきたとか!
家族の協力があったからこそ、彼女もまた自分の力で努力を続けてきたのですね。
まとめ
世田谷の豪邸に住み、名門の家柄で育ちながらも、たくさんの努力と苦労を積み重ねてきた宮脇花綸さん。
幼少期から家庭に支えられ、学業と競技の両立に取り組むなかで、多くの壁を乗り越えてきました。
そんな宮脇さんの努力と精神力は、パリ五輪でのメダル獲得という結果につながったのです。
これからも新たな挑戦に向かう宮脇さん、ますます期待が集まりそうですね!
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