2026年のミラノ・コルティナ冬季オリンピックで、フィギュアスケートペア種目が熱気を帯びました。
木原龍一選手と三浦璃来選手の「りくりゅう」ペアが金メダルを獲得した瞬間、テレビの前で涙を流した人は少なくないはずです。
その感動をさらに深めたのが、解説席にいた一人の女性の存在でした。
「なんてきれいなんでしょう!」「すごい、すごい、すごい!」「こんな演技、宇宙一です!」
そう興奮気味に叫んだのは、元フィギュアスケーターで今は解説者として活躍する高橋成美さんです。
そして木原選手が涙をこらえながら「なるちゃんがいたから、今がある」と言いました。
実はこの二人、かつてペアを組んでいた元相棒なのです。
その関係には、ソチオリンピックでの挑戦、別れ、どん底の生活、そして10年越しの再会という、ドラマのような物語が詰まっています。
ここではそのすべてを、丁寧に紐解いていきます。
木原龍一と高橋成美がペアを解消した本当の理由
「不仲説」の真相
まず気になるのは、2015年3月のペア解消時に囁かれた「不仲説」の真相です。
インターネット上ではさまざまな憶測が飛び交い、「仲が悪くなったのでは」「揉めたのでは」という声も聞かれました。
結論から言うと、これはほぼデマ です。
解散発表の時点で、両者は「それぞれペア競技を続ける」と明言しています。
決裂した二人がそんな前向きなコメントを出すものでしょうか。
10年以上経った2026年のオリンピック後、木原選手は高橋さんを「なるちゃん」と呼び感謝を伝え、高橋さんは号泣しながら「りくりゅうじゃなきゃ金メダルはなかった!」と語りました。
これが不仲の末路に見えるなら、何が仲良しなのかわかりません。
高橋さん自身も「オリンピックに出たいから相手を捨てたと言われたけど、そんなんじゃない」と、誤解を明確に否定しています。
不仲説は、解散という事実に人々が勝手にドラマを乗せた結果生まれたものです。
高橋成美が抱えていた度重なる怪我と、精神的疲労
では、本当の理由は何だったのか。
一番大きな要因として挙げられるのが、高橋さんの深刻な怪我の蓄積 です。
高橋さんは2012年頃から左肩の反復性脱臼、右膝の手術など、慢性的な怪我を繰り返していました。
フィギュアスケートのペア競技は、男性が女性をリフトしたり投げたり回転させたりするため、体への負担が想像以上に大きいのです。
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引用元:スポーツナビ
単純に「演技がきれい」という印象で語られがちですが、実際は体の限界と毎日戦うようなスポーツといえるでしょう。
さらに成績面でも苦しい状況が続いていました。
2014〜2015シーズンの世界選手権では17位、19位、最下位という結果が続きました。
高橋さんは「勝ち負けに追われる生活に、正直疲れた」と振り返ります。
その言葉の重さは、体を壊しながら滑り続けた人にしかわかりません。
木原選手もこの時期、シングルからペアに転向したばかりで、体作り自体が追いついていない状況でした。
二人は身体的・精神的にギリギリのところで踏ん張っていました。
それが当時の実態です。
喧嘩別れではなく「前向きな決断」
高橋さんが「もうスケートが嫌になった」から解散したのかというと、それも違います。
解散後、高橋さんはロシアのアレクサンドル・ザボエフ選手と新しいペアを結成 しようとしました。
スケートそのものを諦めたわけではなく、「この形では続けられないが、別の可能性を探したい」という選択だったわけです。
残念ながらそちらは資金難で断念することになり、2018年に引退を決意するのですが、少なくとも解散の時点では、お互いが次のステージを向いていました。
木原選手も解散後は須崎海羽選手と新ペアを組み 、2018年の平昌オリンピックにも出場しています。
二人の解散は「終わり」ではなく、それぞれの「再出発」でした。
高橋成美の葛藤と、木原選手への思い
高橋さんの葛藤を深く掘り下げると、胸が痛みます。
彼女は前パートナーのマービン・トラン選手とのペアも怪我で解消しています。
つまり、怪我による別れを一度ならず二度経験 しているわけです。
「なぜ自分はこんなに体を壊してしまうのか」という自責の念もあったのではないでしょうか。
それでも高橋さんが木原選手を誘ったのは、「シングル時代から仲良しで、一緒に練習したら楽しいだろうなと思った」という純粋な気持ちからです。
スケートの楽しさを、好きな人と共有したかった。
そのシンプルな動機が、日本ペアスケートの歴史を変えました。
当時の二人は知る由もなかったはずです。
木原龍一選手の最初のペアパートナー、高橋成美さんのごきげん皇居ラン15km。変化走って走る距離ごとに速度変えて走るからめちゃくちゃ疲れる。でも、体幹しっかりしてて、走るフォームもめちゃくちゃ綺麗なのよね。もうさ、見てるだけで、走ることって楽しいって思わせてくれる子よね。 pic.twitter.com/LoGllUJcBe
— クレア (@kureakurea01) February 18, 2026
「涙の別れ」を詳述
2015年3月31日の解散発表は、日本スケート連盟を通じて行われました。
その場でも二人は冷静で、「互いのスケート人生のための決断」という姿勢 を崩しませんでした。
高橋さんは後に「私は何をやってきたのか」と自責の日々を送ったと語ります。
それでも木原選手のことを悪く言う言葉は一切ありません。
むしろ「木原の活躍に未練たっぷりだけど、りくりゅうの虜」と、複雑ながらも心から応援する気持ちを明かしています。
嫌いになったから別れるのはシンプルです。
でも好きだからこそ、相手のためを思って手を離す。
そういう別れは言葉にしにくく、傍からは「不仲」と片付けられやすいものです。
高橋さんと木原選手の解散は、まさにそれでした。
高橋成美と木原龍一の現在の関係は?
解散から10年以上が経ち、二人の関係は今も変わりません。
ペア解消が「終わり」ではなかったことが、現在の姿を見れば、はっきりとわかります。
「宇宙一」という絶叫に隠された、元相棒への深い愛
2026年のミラノ五輪、フィギュアスケートペアのフリー演技で、高橋さんの解説はもはや解説の枠を超えていました。
「なんてきれいなんでしょう!」
「すごい、すごい、すごい!」
「こんな演技、宇宙一です!」
スポーツ中継の解説でここまで感情が溢れ出る場面は、珍しいものです。
SNSでは「解説も金メダル級」「成美ちゃんの解説も宇宙一」という声が殺到し、高橋さん自身がトレンド入りしました。
この絶叫は、単なるテンションの高さではありません。
木原選手がペアを始めるきっかけを作ったのが高橋さん自身だからこそ、「この人がここまで来た」という感情は、私たち視聴者の何倍も深かったはずです。
正直、このシーンには胸を打たれた方が多かったのではないでしょうか。
木原龍一のどん底を知る高橋成美
金メダル決定後のインタビューで、高橋さんはこんなことを言っています。
「きょうは夢の金メダルがかなった。気づいていないかもしれないけど、目の前の私の夢も今日かなった。世界中の夢をかなえた人だから”何してもいい”と思うの」
この言葉の意味を理解するには、背景を知る必要があります。
木原選手は2019年、練習中の脳震とうで須崎選手とのペアを解消 し、名古屋でアルバイト生活を送りながら引退を考えていました。
高橋さんはそのどん底の時期を知っている数少ない一人です。
表彰台に立つ木原選手の姿を見ながら、高橋さんが思い出していたのは、あのアルバイト時代の顔だったはずです。
「私の夢も叶った」という言葉は、元相棒の軌跡を見守り続けた人にしか言えません。
あの言葉の重みを思うと、胸がいっぱいになりますよね。
木原龍一選手。
ちゃんと女子2人の身長に
合わせて、写真撮る心遣い。何かいいな。☺️ pic.twitter.com/CBSZJDvO8g
— Tomo⊿🎏🎏🎏ネビュラ徳島①②東京ドーム①②参戦 (@sakiharutomo) February 17, 2026
三浦璃来選手も含めた、3人で笑い泣き
このインタビューでもう一つ忘れられないのが、三浦選手の存在です。
高橋さんが「何してもいいと思うの」と言ったとき、三浦選手がキョトンとした顔で「どういうこと?何してもいいの?」とツッコんだのです。
その瞬間、3人が一緒に大笑いしました。
涙から笑いへの切り替えが一瞬で起きるあのシーンには、関係性の深さが確かにありました。
高橋さんと木原選手の絆を三浦選手も理解し、空気をほぐしてくれたのです。
良いチームです。
世界が感動したインタビュー
インタビューのクライマックスは、木原選手の言葉でした。
「なるちゃんがいたから、今のペアが、次世代のペアが出てきた。なるちゃんがいたから、俺たちが……つないでくれてありがとう」
この言葉が出たとき、高橋さんは「りくりゅうじゃなきゃ金メダルはなかったの!」と涙声で返しました。
そして最後に3人で「ペア大好き!」と声を揃えたのです。
Xでは165万回以上表示され、「高橋成美さん」「成美ちゃん」がトレンド上位に入りました。
世界中の人が、この三人のやりとりに何かを感じ取ったのです。
「なるちゃんがいたから今がある」
金メダル直後のインタビューで、木原選手がまず名前を出したのはコーチでも家族でもなく、「なるちゃん」こと高橋成美さんでした。
これは偶然ではないでしょう。
木原選手がペアスケートを始めたのは高橋さんに誘われたからで、ペアの何たるかを最初に教えてくれたのも高橋さんです。
もしあの誘いがなければ、りくりゅうペアも、この金メダルも存在していなかったわけです。
感謝を伝えたい人は山ほどいるはずなのに、なぜ一番最初に高橋さんだったのか。
その答えは木原選手の心の中にある優先順位を表しています。
10年越しの「ありがとう」
2013年の結成から2026年の金メダルまで、実に13年。
その間、二人はそれぞれに怪我と戦い、経済的な苦労を抱え、引退の瀬戸際に立ったこともありました。
高橋さんはアルバイトをしながら練習していた時代のことを語っていますし、木原選手もアルバイト生活を経て復活しています。
華やかなスケートの世界の裏側で、二人がどれだけ泥臭く生きていたかが垣間見えます。
その全部を経た上での「ありがとう」。
10年越しの言葉には、普通の感謝では量れない重さが詰まっていました。
高橋成美が作った日本ペアの基盤!木原龍一が繋いだバトン!
これみて
わしも
もらい泣きしとる😭高橋成美さんの解説もとても最高で
声がいいんだよなあ
心地の良い
とてもいい声と
感想と、きちんとしたわかりやすい解説😭あなただから
みんなも解説に興味を抱いた
わかりやすかったから楽しめたんだよ!
ありがとう!! https://t.co/bAswegUqwY— 奇羅(きらたそ) (@kilataso) February 18, 2026
二人の物語を「個人の感動話」として終わらせるのはもったいないでしょう。
この二人の歩みは、日本のフィギュアスケートペア界全体の歴史と深く絡み合っています。
資金難や練習環境の不備を乗り越えた、高橋・木原ペア時代
2013年当時の日本のペアスケート事情は、今とは比べ物にならないほど厳しかったのです。
そもそも日本では、ペアを専門的に指導できる環境が整っていませんでした。
高橋さんと木原選手は、練習のためにアメリカのミシガン州まで拠点を移し、佐藤有香氏とジェイソン・ダンジェン氏のもとでトレーニングを積みました。
費用は当然自己負担で、経済的な余裕がある状況とはいえませんでした。
高橋さんは中国など海外を転々としながら育ち、身体的にも精神的にも過酷な環境でスケートを続けてきました。
体重管理や過酷なトレーニング、生活の不安定さ。
それでも「ペアが好き」という気持ちだけで続けてきた強さは、並大抵のものではないでしょう。
木原選手もシングルからペアへの転向で、体の作り直しから始めました。
リフトやスローのための筋力を一から身につけ、2014年のソチオリンピックまでわずか1年で間に合わせました。
かなり無茶なスケジュールだったといえます。
高橋成美「ペアの魅力」を伝え続けた功績
2018年に引退した高橋さんは、その後、解説者・タレントとして新たなキャリアを歩み始めました。
松竹芸能に所属し、JOCの理事・評議員としてフィギュアスケートの普及活動にも関わっています。
「ペアは命を預け合う関係」「一人ではできない感動がある」という高橋さんの言葉は、ペアという種目をなかなか知ってもらえなかった時代に、地道に発信され続けてきました。
2026年のオリンピックで、その言葉が一気に多くの人に届きました。
解説者としての高橋さんの「宇宙一」発言や感情豊かなコメントは、ペアに初めて関心を持った視聴者を生み、その影響力は現役時代とは違う功績といえるでしょう。
SPで5位に沈んだりくりゅうへ、高橋さんが「7点差なんてリフト1個分で取り返せますよ!」と励ましたコメントも話題になりました。
専門知識と愛情が混ざったあの言葉は、視聴者の不安をほぐすと同時に、りくりゅうへのエールそのものでした。
二人が涙で示した「日本フィギュア界」の未来
高橋成美さんが世界選手権で銅メダルを獲ったのは2012年。
そこから日本のペアスケートの歴史は動き始めました。
高橋さんが木原選手を誘い、木原選手が三浦選手に出会い、りくりゅうが世界の頂点に立ちました。
このバトンリレーは、一人の情熱から始まったものです。
「成美ちゃんが築いたレールの先に、りくりゅうがいる」というファンの声は、過剰な美化ではなく、事実の流れを言い表しています。
高橋さん自身も「りくりゅうの活躍がペアの未来」と語り、次世代の選手層拡大を訴えています。
金メダルというゴールは、同時に新しいスタートラインです。
2026年の感動が、これからペアを目指す子どもたちにとっての「あの金メダル」として語り継がれていくなら、その始まりを作ったのは間違いなく高橋成美さんです。
あのインタビューで3人が声を揃えた「ペア大好き!」は、ただの締めの言葉ではありません。
日本ペア界のこれまでとこれからを、ぎゅっと凝縮したひと言でした。