『仮面ライダーゴースト』でナリタ役を演じていた勧修寺玲旺さん。
当時を知っている人ほど、現在の姿を見て「え、同じ人?」となったかもしれません。
現在は俳優ではなく、RUNE999(ルーン)名義でラッパーとして活動しています。
首元まで入ったタトゥーに、ストリート感のあるスタイル。
爽やかな若手俳優だった頃とは、かなり印象が変わりました。
そこで気になるのが、なぜ俳優を辞めたのかということ。
何かトラブルがあったのか、それとも俳優としてうまくいかなかったのでしょうか。
実は本人が語っている経緯を見ると、理由はもっと前向きなものでした。
俳優を辞めた大きな理由は、「仮面ライダーに出る」という夢を叶え、もう一つの夢だったラッパーへ進むためです。
俳優から音楽へ。
一見すると大胆な方向転換ですが、本人の中では子どもの頃から一本につながっていたようです。
勧修寺玲旺が俳優を辞めた理由は?
勧修寺玲旺さんが俳優を辞めた理由について、スキャンダルや大きなトラブルが原因だったという情報はありません。
むしろ、俳優として自分が目指していた場所に到達したことが大きかったようです。
勧修寺さんには、小学生の頃から二つの夢がありました。
一つは「仮面ライダーになること」。
もう一つが「ラッパーになること」です。
この二つ、普通なら「どちらかを選ぶ」と考えてしまいそうですよね。
ところが家族と進路について話したとき、勧修寺さんは面白い順番を考えます。
ラッパーになってから仮面ライダーを目指すのは難しい。
でも、仮面ライダーを経験してからラッパーになることはできるかもしれない。
それなら、先に俳優を目指そう。
この考えからジュノン・スーパーボーイ・コンテストに挑戦し、芸能界への道を歩き始めました。
そして実際に、憧れていた仮面ライダー作品への出演を果たします。
本人はその時点で俳優としての目標を達成したと感じ、次のドラマや映画の話があったものの、「もう十分」と考えて俳優を辞める決断をしたと語っています。
つまり、「俳優を続けられなかった」のではなく、「やりたかったことをやり切って次へ進んだ」という方が実情に近いのでしょう。
2017年7月には、所属していたサンミュージックブレーンとの契約終了が発表されています。
現在の姿だけを見ると、「俳優時代に何かあったのでは?」と想像したくなるところ。
ただ、本人が語る経緯は意外なほどシンプルです。
俳優を辞めてから次の夢を探したのではありません。
最初から、もう一つの夢があった。
ここが勧修寺さんの転身を理解するうえで大きなポイントです。
仮面ライダー出演で一つ目の夢を達成
勧修寺玲旺さんは2012年、第25回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストでファイナリストとなり、その後モデルや俳優として活動を始めました。
2013年には舞台『グリムの森』で俳優デビュー。
ドラマ『49』などにも出演し、若手俳優として経験を積んでいきます。
そして2015年、ついに子どもの頃からの夢だった仮面ライダー作品へ。
『仮面ライダーゴースト』にナリタ役でレギュラー出演しました。
ナリタは、仮面ライダーゴーストに変身する天空寺タケルを支える仲間たちと関わる人物です。
関連映画にも出演しており、この頃の勧修寺さんを覚えている特撮ファンもいるでしょう。
現在のRUNE999を先に知った人が当時の姿を見ると、逆方向の驚きがあるかもしれません。
髪型やファッションも含め、当時はかなり爽やかな若手俳優という印象でした。
だからこそ、現在の姿とのギャップが強烈なんですよね。
ただ、本人にとって重要だったのは「俳優として有名になり続けること」ではなく、憧れていた仮面ライダーの世界に実際に入ることだったようです。
普通なら、そこから「もっと売れたい」「次は主演を」と考えても不思議ではありません。
勧修寺さんの場合は、夢を叶えたことで次の夢へ気持ちが動いた。
キャリアの途中で投げ出したというより、一つのゴールテープを切って、次のコースへ走り出した感覚に近いのかもしれません。
RUNE999としてラッパーへ転身
俳優を離れた勧修寺玲旺さんですが、すぐにラッパーとして華々しく再スタートしたわけではありません。
俳優業を辞めたあとには、しばらく働かずに過ごしていた時期もあったとされています。
そんな中、クラブで改めてヒップホップを聴き、昔から持っていた音楽への思いを再確認。
そして2021年2月、「RUNE999」として本格的にラッパー活動をスタートしました。
ここまでの流れを見ると、「元俳優が突然ラッパーになった」という印象も少し変わってきます。
本人にとってラップは、芸能界を辞めたあとに偶然見つけた新しい道ではありません。
小学生の頃から仮面ライダーと並んで持っていた、もう一つの夢でした。
そう考えると、俳優からラッパーへの転身は方向転換というより、昔から思い描いていた第二章と見る方がしっくりきます。
しかも、芸名だけを変えてイメージチェンジしたわけではありません。
江戸川区を拠点とするクルー「River Side House」で活動するなど、自身の地元を前面に出したスタイルへ。
俳優時代とは見た目も表現方法も大きく変わりました。
仮面ライダー時代を知っている側からすれば、「ずいぶん変わったな」と感じるのも無理はありません。
ただ本人からすれば、ようやくもう一つのやりたかったことを始めた。
そんな感覚なのかもしれませんね。
現在の音楽活動はうまくいっている?
では、俳優を辞めてまで選んだ音楽活動はうまくいっているのでしょうか。
いわゆるメジャーシーンで誰もが知るラッパーになった、という段階ではありません。
一方で、インディーのヒップホップシーンでは着実に実績を積み上げています。
2021年に発表した「MyWorld feat.Ry-lax」は、iTunesのヒップホップチャートにランクイン。
2022年の「2007 BOY」では、NE-YO本人から正式にサンプリング許可を得たことでも話題になりました。
さらに2024年には、1stアルバム『江戸川』をリリース。
iTunesヒップホップアルバムチャートで1位を獲得しています。
その後も楽曲のリリースを続け、2026年1月にはシングル「RAP」を発表。
地元・江戸川を軸にした「River Side House」ではCEOも務めています。
もちろん、チャート1位という数字だけで「ラッパーとして大成功」と決めるのは早いでしょう。
Spotifyの月間リスナーなどを見ても、活動規模としてはまだインディー色が強い段階です。
それでも、俳優を辞めてから何となく音楽を始めたわけではないことは伝わってきます。
楽曲を出し続け、自分たちのクルーで活動し、アルバムまで形にした。
そして何より、子どもの頃から抱いていた夢を実際の仕事にしています。
「仮面ライダーになる」と「ラッパーになる」。勧修寺玲旺さんは、二つの夢を順番に追いかけてきたわけです。
そう考えると、爽やかな俳優時代と現在のRUNE999は、見た目ほど別人ではないのかもしれません。
外から見ると180度の変化。
でも本人から見れば、ずっと行きたかった次の場所へ進んだだけ。
この経歴を知ると、仮面ライダーからRUNE999への変化も、少し違って見えてきます。