
パリ五輪で大注目だった男子110mハードルの村竹ラシッド(むらたけ らしっど)選手。
実は「トーゴ人の父」と「日本人の母」を持つハーフなんです。
でも、ただの“ハーフアスリート”という言葉では語りきれない魅力がたっぷり!
- どんな家庭で育ったの?
- 両親ってどんな人?
- そして、名字「村竹」の由来は…?
走る姿の裏にある、ちょっと気になる家族のことや育った環境をのぞいてみると、
ラシッド選手の意外な一面が見えてくるかもです!
気になる人はこのままチェックしてみてください!
村竹ラシッド選手の父親はトーゴ人の元陸上選手!
村竹ラシッド選手の父親は西アフリカに位置するトーゴ共和国の出身です。
引用元:一般社団法人 トーゴ友好協会
このことから、村竹選手は「日本人とトーゴ人のハーフ」となります。
トーゴは人口の約7割が35歳未満という若い国で、コーヒーやカカオの生産が盛んなことで知られています。
また、陽気で明るい国民性を持ち、7月から12月にかけては各地で毎日のように祭りが開かれている活気あふれる国です。


特に「跳躍種目」で活躍されていたそうで、その運動能力の高さは息子のラシッド選手にも色濃く引き継がれています。
実際、村竹選手がこれほどまでにハードル種目で世界レベルの実力を持つに至ったのは、
まさに「父親譲りの身体能力」や「陸上経験からくる助言」があってこそなのではないでしょうか。
家族の中に陸上競技の経験者がいるということは、競技に対する理解やサポートも格段に深くなります。
ときに厳しく、そしてときに優しく。
お父さんは村竹選手にとって、技術面でも精神面でも大きな支えだったのでしょう。
この投稿をInstagramで見る
現在でもその影響は健在で、村竹選手の明るくポジティブな性格にも、
父親の国民性がにじみ出ていると話題になっています!


実際にSNSでは、「あの陽気さはアフリカ系ならでは」「国際的な雰囲気がある」といった声も。
また、父親は日本に移住後、地に足の着いた生活を送り、家族を大切にする人物だと言われています。
目立つ存在ではないものの、家族の後ろでしっかりと支えるその姿は、まさに“影の立役者”といえるでしょう。
村竹ラシッド選手の母親は日本人!名字「村竹」のルーツは?
村竹ラシッド選手の母親は日本国籍を持つ日本人です。
村竹という名字からも、日本人の母親の存在がうかがえますが、
実はこの「村竹」という姓には地域的なルーツがあります。
日本全国でもあまり多くは見られないこの姓。
特に広島県や島根県など、中国地方に集中して存在しているのが特徴です。
このことから、村竹ラシッド選手の母親、あるいはそのご家族は、
広島や中国地方にゆかりがある可能性が高いと考えられます。
引用元:苗字由来net
名字の通り、村竹ラシッド選手も「村竹姓」を名乗っていますが、
これは日本の慣習に従って、母親側の姓を継いだということになります。
国際結婚のケースでは、家庭ごとに姓の選び方が異なりますが、
母方の姓を選ぶことで、日本での生活がスムーズになるという判断だったのかもしれません。
そんな母親は、村竹ラシッド選手のメンタル面でも大きな支えとなっている存在です。
2024年のパリ五輪で、村竹選手が男子110mハードル決勝に進出した際、現地まで応援に駆けつけていた母親。
緊張する息子にLINEで「顔が怖いぞ!楽しんで!」というメッセージを送り、
笑顔を取り戻させたというエピソードは、すでにファンの間では有名な話となっています。


競技においても、仲間やスタッフをリスペクトするその姿勢には、家庭での教育の影響が強く表れています。
ラシッド選手が小学校時代に陸上を始めたきっかけは、実は担任の先生の勧めだったそうです。
それが今やオリンピックファイナリストとなり、日本陸上界の未来を担う存在へと成長したのです。
この投稿をInstagramで見る
「母の応援があったからここまで来られた」と語る人は多いですが、村竹ラシッド選手にとってもまさにそれは真実。
母親の深い愛情と理解が、今の彼をつくり上げてきた大きな原動力であることは間違いありません!
多文化の家庭で育った村竹ラシッドが得た“視野の広さ”
村竹ラシッド選手が見せる、あの落ち着きと柔軟さ。
国際舞台でも物怖じせず、むしろ楽しむようなあの姿には、競技だけじゃない“育ち”の力を感じますよね。
トーゴ人の父と日本人の母の間に生まれたハーフ。
その家庭環境は、ただの「二つの国のミックス」ではありません。
文化、考え方、食べ物、言葉、そして価値観——すべてが異なる中で、
彼は「どちらも正解」という視点を当たり前のように受け入れて育ってきたのではないでしょうか。
たとえば、
日本では周囲との調和や控えめさが美徳
とされますが、
トーゴでは“陽気で自分を表現する”ことが大切にされる文化。
そんな真逆の価値観が家の中に同居していたら…あなたならどう感じますか?
「どっちが正しいんだろう」と迷うのではなく、「どちらにも意味がある」と思える人に育ったこと。
それが、村竹ラシッド選手の大きな強みなのだと感じます。
だからこそ、パリ五輪で見せた“ジョジョ立ち”のような大胆なパフォーマンスも、
決して「ふざけている」わけではないんですよね。
しっかり場をわきまえつつ、場を和ませるユーモアを自然に出せる。
それが、村竹選手らしさ。
こういった振る舞いの根っこには、「どの文化でも通用する振る舞いを知っている」という自信があるのかもしれません。
これは、学校の授業や練習では教えてくれないもの。
家庭の空気や日常の会話から、じわじわと体に染み込んできた“生きた教養”です。
さらに、多文化の中で育つと自然に身につくのが「比較する力」です。
たとえば日本の行事とトーゴの祭りの違い。


この感覚って、実は競技にも活かされるんです。
他の選手と自分を比べて落ち込んだり、周囲と同じやり方じゃないと不安になる選手も多い中、
村竹選手は「自分に合ったスタイル」を貫ける。
それは、幼いころから“比較と選択”を繰り返してきた環境があったからこそ。
また、多文化環境で育った人は「違いを楽しめる」人が多いとも言われます。
自分と違う意見ややり方にイライラせず、「へぇ、そうなんだ」と素直に受け止めることができる。
こういう“器の大きさ”が、国際大会での落ち着きや、仲間との信頼関係にもつながっているのではないでしょうか。
もちろん、それは簡単な道のりではなかったはずです。
自分の見た目や名前に、幼い頃は戸惑ったこともあったかもしれません。
でも、そうした経験を通して得た“自分らしさへの理解”が、今のラシッド選手を支えているのでしょう。
「ハーフだから」「多文化家庭だから」ではなく、
その中でどう育ったか、何を感じたか。
村竹ラシッド選手の“強さ”は、まさにそこにあるのだと思います。
この投稿をInstagramで見る
まとめ
今回は、トーゴ人の父と日本人の母を持つハーフアスリート・村竹ラシッド選手の家族背景に迫ってきました。
- 父親はトーゴ出身の元陸上選手
- 母親は日本人で、「村竹」という名字のルーツを持つ
- 文化の違いを超えた国際結婚の中で育まれた多様な価値観
- そして、家庭で育った多文化的な感性と視野の広さ
これらすべてが、村竹ラシッド選手の「メンタルの強さ」や「個性あるパフォーマンス」、
そして「世界に通用するアスリート」としての成長につながっています。
2024年のパリ五輪で日本人初となる男子110mハードル決勝進出という快挙を果たした彼は、
その背後にある“家族の物語”によって、さらに輝きを増しています。
今後、世界陸上や次のオリンピックに向けてさらなる飛躍が期待される村竹ラシッド選手。
彼の走りの先には、「両親が築いた文化の橋」がしっかりと続いているのです。
これからも彼の活躍から目が離せません!
スポンサーリンク