
2025年5月8日。
東京都立川市の小学校で、信じられない事件が起こりました。
授業中の校舎に、男2人が侵入し、先生たちに暴行を加えたのです。
しかもその男たちは、児童の母親の知人だというから驚きです。
きっかけは、「いじめの相談」。
でも、その相談がどうして暴力事件にまで発展してしまったのでしょうか。
「子どものため」と言いながら、本当に守られたのは誰だったのか?
ニュースを知ったあと、いろんな感情が湧いてきて、考え込んでしまいました。
目次
母親のいじめ相談が発端に?小学校に男2人が侵入・暴行
事件が起きたのは、午前11時前のこと。
市立第三小学校の教室に、20代と40代の男が突然侵入しました。
そのまま1階の職員室に向かい、ガラスを割って中に侵入。
そして、教員5人に暴行を加えたというのです。
…まさか、学校でこんなことが起きるなんて。
逮捕された2人のうち1人は「振り払っただけ」と容疑を否認。
もう1人は「何発か叩いた」と認めているとのことでした。
怖かったでしょうね…子どもたちは無事でしたが、心に傷を負ったのは間違いないはずです。
この事件のきっかけになったのは、ある女の子の母親がした“いじめ相談”。
その日の朝、学校に話をしに来ていたそうです。
でも、話し合いがうまくいかず、母親は自宅に戻って知人を呼び、再び学校を訪れた…。
そこで起きたのが、あの暴力事件。
「話し合い」が「暴力」にすり替わってしまった瞬間でした。
「子どものため」とは思えない暴力的な行動に違和感の声
この事件に、ネットでは批判の声が殺到しています。
- 「子どものためって言うけど、暴力ふるってる時点で説得力ゼロ」
- 「学校を戦場にしただけじゃないの?」
- 「自分が気に食わないからって人を使って脅すとか、大人としてどうなの?」
…正直、私もその通りだと思いました。
さらに、海外と比べて日本の保護者対応が甘すぎるという指摘も。
「外国では加害者の親子はカウンセリング通いになる」
「学校に従わないと子どもに不利益が出るから、親も真剣になる」
それに比べて、日本では保護者が“客”のような立場になっていると。
そんな状況で、今回のような事件が起きてしまった。
声が大きい方が勝ち、みたいな風潮があるなら怖すぎます。
暴れた40代の男に対しては、「威張りたいだけのダサいおっさん」との声も…。
強く出れば通ると勘違いした大人たちが、結局は子どもを追い詰めてしまった。
そんなふうに感じてしまいました。
子どもが傷ついたのは誰のせいか?問われる大人の責任
今回、一番心に刺さったのは、事件の中心にいた子の存在です。
きっと、その子は今も不安でいっぱいでしょう。
「自分のせいで、こんなことになったのかも…」
そんなふうに思い込んでいないか、心配でなりません。
実際、「この子、もうこの学校に戻れないんじゃないか」
「まわりから距離を置かれるかもしれない」
そんな声もあがっていました。
でもね。その子は何も悪くないんですよ。
悪いのは、大人。
冷静さを失って、暴力という手段に頼った大人たちです。
子どもたちは、突然の怒号、割れるガラス、泣き叫ぶ友だちの姿を目にしました。
それって、一生モノのトラウマになってもおかしくありません。
私たち大人がすべきだったのは、「怒りを爆発させること」じゃなくて、
子どもが安心できる空間を守ることだったんじゃないでしょうか。
大人こそ冷静に。子どもを守るために親ができること
「子どもを守りたい」
その思いが強すぎて、暴走してしまうこともあるのかもしれません。
だけど、その結果として子どもを傷つけてしまっては意味がないのです。
「怒れば変わる」「脅せば通る」
そういう考えは、本当の意味での解決にはつながらないんですよね…
必要なのは、冷静に対話し、支援の手につなぐこと。
学校と保護者のあいだに立ってくれる中立の窓口も、これからは本当に大事になってくるでしょう。
そしてなにより、
子どもたちには「自分のせいじゃない」と伝えてあげたい。
巻き込まれただけで、なにも悪くない。
悪いのは、大人の未熟さなんです。
今回の出来事を通して、私たち大人が学ばなければいけないこと。
それは、感情ではなく理性で、子どもたちを守るということではないでしょうか。
子どもを守るということ、本当の意味で考えたい
「子どものため」と思ってしたことが、
実は一番、子どもを傷つけていた。
そんな悲しい現実が、今回の事件から見えてきました。
子どもを守れるのは、声の大きさじゃない。
やさしさと冷静さ、そして責任感です。
子どもにとって、安心できる大人でありたい。
そう、心から思いました。
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